38(t)戦車 E型
第20装甲師団 第21戦車連隊 所属車
Pz.Kpfw.38(t) Ausf.E
Pz.Rgt.21 of the 20.Pz.Div. (Russia 1941)

 完成  Finish of paint 
 E型の作品では1941年6月のバルバロッサ作戦時における第20装甲師団の第21戦車連隊所属車両を再現してみました。
▼塗装設定はドゥンケルグラウ単色で、塗料はクレオスのジャーマングレー"ドゥンケルグラウ"3色(513,514,515)を吹き付けました。

▼履帯はE型から標準型(軽量型)履帯が生産当初から採用されているので、モデルカステンの連結式可動履帯(SK-30)を履かせました。
 履帯の塗装はタミヤのラッカー塗料「ダークアイアン」(LP-54)を吹き付けて乾かした後、タミヤのアクリル塗料の「バフ」(XF-57)と「フラットアース」(XF-52)で塗り、半乾きの状態で無水エタノールでアルコール落としで仕上げてみました。

▲起動輪と誘導輪はモデルカステンのパーツ(A-9)に取り替え、誘導輪はD型までの作例ではその軽め穴の形状がタマゴ形だったので修正していましたが、E型からはダルマ形に変更されたので、パーツを修正する必要が無くなりました。

▼リーフスプリング(板バネ)を中央で束ねる保持具にスリットが設けられているので、ドラゴンのパーツを利用して再現しました。

▼キットの車台前面装甲板のパーツには予備履帯ラックがモールドされていますが、作例の設定である1941年6月のバルバロッサ作戦時には存在しない装備なので、そのモールドを削り取り平らにしました。

▼第20装甲師団では変速機及び操向装置点検ハッチ両側に増加装甲を兼ねた予備履帯(5枚)をそれぞれ専用ラックにより装着しているのでモデルカステンの履帯を取り付けました。G型からよく似たラックが標準装備になりましたが、この師団のラックを参考にしたのかもしれません。

▲E型の特徴として戦闘室前部形状は段差があったものから直線になって装甲厚が増強され、前部視察用クラッペも強化されています。また、無線手用ハッチの形状も前部形状の変更に伴い改められました。

▼第20装甲師団の38(t)戦車では独自の雑具箱が左右フェンダー上に取り付けられているので、トライスターのG型キット(35022)のパーツから流用しました。なお、穴が開いているスペースには履帯に装着する防滑具(グローサー)が収納されていたようです。

▲戦闘室左側面後部に乗車用の手すりがボルト留めされているのが一般的ですが、雑具箱の装着により不要になるのではと思い、記録写真で確認したところ残されていたので、作例では真鍮線に代えて取り付けています。

▼ターレットリングガード後部はキットではつながっていますが、実車ではカットされているので切り取りましたが、写真のように砲塔を横向きにしないと見えないのが残念です。

▲第20装甲師団の所属車両では、砲塔番号が砲塔側面後部及び後面に一桁又は二桁の番号が描かれているので、ブロンコのⅢ号戦車A型キットのデカールから白文字の「23」を選択して貼りました。 ※部隊編成及びマーキングシステムの考察は記事の最後に記載

▼第20装甲師団の装備のもう1つの特徴として、泥濘(ぬかるみ)を突破するための粗朶束(そだたば)が挙げられます。エバーグリーンの3種類の太さの丸棒で再現し、塗装はクレオスの「タン」(44)で塗った後に油彩のローアンバーとバートアンバーで仕上げていましたが、広葉樹で見られる灰色の樹皮を表現したかったので、油彩のニュートラルグレイに少しローアンバーを加え、あまり薄めずに上塗りしてみました。

▲他の師団同様に長距離行軍に備えて機関室上部に20リットル入り携行燃料缶(ジェリカン)が4個装備されているので、タミヤの「ドイツ初期型ジェリカンセット」(35315)を利用し、この師団の独自形状の受け皿は0.5ミリ厚のプラ板で再現しました。

▼キットはマフラーが上方に移動した状態を再現していますが、実車のE型では275両の生産車体のうち、5割以上の147両はD型以前と同じく、低い位置に装着されているので改造しました。
 また、バルバロッサ作戦参加車両ではマフラー中央上部にピントル用ケーブルのガイドパイプが溶接留めされているので、プラ材で再現しました。

▲E型から泥や砂塵から保護するため、履帯張度調整装置及びエンジン始動用クランク差込口にカバーが設けられているので、キットのカバーパーツを取り付け、留め具はアベールのエッチングパーツで再現しました。

▼第20装甲師団におけるバルケンクロイツ(国籍マーク)は白フチのみで、中心に黒の中帯が入った車両は確認できなかったので、SATR DECALSの「Pz.Kpfw.38(t) Op.Barbarossa and Early war years」(35-C-1249)のデカール(E2)を雑具箱に貼りました。

▼黄色い師団マークは、車体前部では他の師団と同様に無線手用クラッペの上部に、車体側面は砲塔側面中央に、後部は車体後部に描かれているので、バルケンクロイツと同じSTAR DECALSのデカール(E3)を貼りました。

▼▲牽引ケーブルは前部牽引フックと後部牽引フックを繋ぐように車体右側に取り付けていることが確認できるので、ユウリカXXLの「Hetzer & MarderⅢ」(ER-3535)を利用して再現しました。(2021年2月完成)

第20装甲師団 第21戦車連隊

 師団の主軸となる第21戦車連隊は1940年10月に第Ⅰ大隊から第Ⅲ大隊までの3個大隊で編成されました。

■戦 歴
 1941年6月のバルバロッサ作戦(ロシア侵攻)においては中央軍集団第3装甲集団第39装甲軍団に所属して第7装甲師団と共に、ソ連占領下のリトアニア(首都ヴィリニュス)やベラルーシ(首都ミンスク)を占領後、7月にはロシアに侵攻し、10月からはタイフーン作戦(モスクワ攻防戦)に参加しました。
 これらの戦いにより38(t)戦車は当初121両配備されていましたが、14両補充されたものの、同年11月時点では稼働車体が11両まで落ち込んでいました。
 なお、後に戦車エースとなるオットー・カリウスは1940年10月に第21戦車連隊第1中隊に配属され、装填手として38(t)戦車C/D型(砲塔番号12号車)に乗車していることが「ティーガー戦車隊(上)」(菊池晟訳、大日本絵画 1995年刊)で確認できます。

■当初配備数(1941年6月バルバロッサ作戦時)
 Ⅰ号戦車55両、Ⅱ号戦車31両、38(t)戦車121両、
 Ⅳ号戦車31両、38(t)戦車指揮戦車2両
 ※戦車不足を補うために既に旧式化したⅠ号戦車が他の師団と比較して多く配備されていることが分かります。
  しかし、1941年8月25日時点で大半の51両が失われていました。

■部隊編成とマーキングシステムの考察
 第Ⅰ大隊から第Ⅲ大隊までの3個大隊で編成されていましたが、その編成の詳細はまだ分かっていません。
 参考にしたのは、きたむら ひろし氏が執筆した「パンツァーブラット第29回と第30回」(アーマーモデリング誌2001年12月号と2002年1月号収録)で同師団の塗装とマーキングについて考察され、砲塔番号についてまとめると次のとおりになります。

・砲塔番号は一桁又は二桁で、砲塔側面及び砲塔後部に描かれている
・砲塔番号一桁の車両は中隊長車を示すと思われる
・砲塔番号は白色、黄色、白フチの赤字の3種類が確認できる
・Ⅳ号戦車の砲塔番号は60番代(十の位が6)である
・砲塔番号二桁の数字が色違いで同一のものが確認できる(21,37)

 古い資料なので、その後に出版された資料本を参考にして配備数の3分の1に当たる45両の記録写真を検証した結果、次の事が分かってきました。
・砲塔番号一桁の場合、その数字は1から9まで確認できる
・砲塔番号二桁の場合、十の位の数字は1から6まで確認できる(うち6はⅣ号戦車配備部隊)
・砲塔番号二桁の場合、一の位の数字は0から9まで確認できる
・不確定だが、第Ⅰ大隊本部中隊所属車両は白色(Ⅰ2,Ⅰ7)、第Ⅱ大隊本部中隊所属車両は白フチ赤色(Ⅱ1,Ⅱ3,Ⅱ8)、第Ⅲ大隊本部中隊所属車両は黄色(Ⅲ1)に見える

 この砲塔番号のマーキングシステムについては不明な点がありますが、興味を持って頂けたら幸いです。
 もし、これについてご存知の方や資料を知っている方は情報提供願います。


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