38(t)戦車G型 
Pz.Kpfw. 38(t) Ausf.G
第22装甲師団 第204戦車連隊 1942年 クリミア戦
Pz.Rgt.204 of the 22.Pz.Div. Crimea 1942

■完 成   Finish of paint
 G型の作品では1942年6月のロシア南部のクリミア半島戦時における第22装甲師団の第204戦車連隊 第Ⅲ大隊 第7中隊所属車両を再現してみました。

▼第7中隊の塗装は記録写真で見る限り2色迷彩のようです。
 この時期にはアフリカ派遣部隊用に規定された塗料(トローペン1,2)もありましたが、この車両ではドゥンケルグラウの上に溶剤で溶いた現地の泥で迷彩が施されていたのではないかとされています。

▲作例ではその説に従い、タミヤのラッカー塗料「ジャーマングレイ」(LP-27)を基本塗料として車体全体に吹き付け、タミヤのエナメル塗料「フラットアース」(XF-52)と「バフ」(XF-57)の混色を泥に見立て、迷彩を再現してみました。

▼この泥迷彩を記録写真で見ると部分ごとにパターンが異なることが分かります。そのため、一人の職人が手がけたものではなく、不慣れな複数の乗員(?)が部分ごとに手分けをして塗った結果ではと推測し、マスキングをすることなく、また筆ムラを気にすることなく、楽しく塗りました。

▲G型では三色迷彩の塗装例が確認できますが、私としてはこの戦車には似合わないと思っていたので、この塗装を選択してよかったです。

▼第7中隊独自形状の雑具箱は左フェンダー上のみに取り付けられているので、プラ板で再現してみました。


▼714号車がG型である確証はありませんが、僚車の711号車などがG型なのでG型と設定し、砲塔番号などのマーキングはトライスター(ホビーボス)のE/F型(35020)のデカールをそのまま用いました。


▼国籍マークであるバルケンクロイツは車体両側面に描かれていますが、車体後部については、組立説明書の塗装・マーキング図には図示されていません。記録写真で検証してみると、砲塔後部と発煙筒ラックのいずれかに描かれていることが確認できたので、砲塔後部にバルケンクロイツ、発煙筒ラックに師団マークを貼ることにしました。


▼この第7中隊では機関室上部に荷物を載せ、制空権が確保されていたことから識別用にハーケンクロイツ旗が括り付けられていましたが、作例では携行燃料缶(ジェリカン)4個をプラ板で受け皿を作り、載せてみました。


 ▼右フェンダー上の車外装備品は左フェンダーから移設してきたバールとスコップ以外は定位置に装着されているようなので、そのように取り付けました。


▼車体前部の予備履帯はモデルカステンの履帯を、ラックはアベールのエッチングパーツを用いました。


 ▼牽引ケーブルは第7中隊では予備履帯ラックに巻き付けていることが記録写真で確認できますが、キットには牽引ケーブルが付属していないので、作例ではユウリカXXLの「Hetzer & MarderⅢ」(ER-3535)を利用して再現しました。(2021年5月完成)


【付 録】
 製作した戦車の時代的背景(戦歴など)を調べることもスケールモデルの楽しみです。
 あまり知られていない第22装甲師団の戦車部隊についてまとめてみました。

■第22装甲師団 第204戦車連隊について

 第204戦車連隊は1941年7月に編成され、当初はフランスから鹵獲したSomua S35などを装備していましたが、同年9月25日に第22装甲師団が創設されたことにより、同師団に編入されました。
 装備は徐々にドイツ製戦車に転換し、1942年2月には第Ⅰ大隊と第Ⅱ大隊の2個大隊での編成になり、3月には第Ⅲ大隊が加わりましたが、その装備が整ったのは4月12日になってからでした。

■戦 歴
 1941年9月から争奪戦が繰り広げられてきたロシア南部のクリミア半島に1942年3月、唯一の装甲師団として投入されましたが、十分な訓練が行われていなかったため、師団人員の約30~40%を失い、攻撃は失敗に終わりました。

【配備数(1942年2月 クリミア戦時)】
○第Ⅰ大隊(第1~3中隊)、第Ⅱ大隊(第4~6中隊)
 Ⅱ号戦車45両、38(t)戦車77両(指揮戦車含む)、  
 Ⅳ号戦車(短砲身)20両
○第Ⅲ大隊(第7,8中隊) ※4月12日時点
 Ⅱ号戦車15両、38(t)戦車37両

 この戦闘で第Ⅰ、第Ⅱ大隊はⅡ号戦車9両、38(t)戦車17両、Ⅳ号戦車6両を失いましたが、4月30日に38(t)戦車は30両が補充され、計90両となりました。
 5月9日にケルチ半島奪回のために投入され、この時は地上攻撃能力が高い空軍の絶大な支援により、同月20日において奪取に成功しました。
 6月2日、80cm列車砲「グスタフ」やカール自走臼砲などが投入されたセヴァストポリ要塞攻略作戦に第Ⅲ大隊が参加し、7月1日に要塞を陥落することができました。
 第Ⅰ、第Ⅱ大隊は6月にハリコフ戦に投入され、7月には第1装甲軍(1.Panzerarmee) 第Ⅲ装甲軍団(Ⅲ Panzer Corps)の一員としてブラウ(青)作戦(夏季攻勢)においてロストフ北東での戦闘に参加し、7月末にはB軍集団の予備にまわりました。

【配備数(1942年7月1日 ブラウ(青)作戦時)】
○第Ⅰ、第Ⅱ大隊
 Ⅱ号戦車28両、38(t)戦車114両、Ⅲ号戦車12両(長砲身)、
 Ⅳ号戦車(短砲身)11両、Ⅳ号戦車(長砲身)11両

  第Ⅲ大隊(ミヒャリク戦闘団 Gruppe Michalik)は、10月1日付けで第127戦車大隊(Panzer-Abteilung 127)に改称され、9月に創設されたばかりの第27装甲師団の所属になりましたが、Ⅱ号戦車の他、38(t)戦車26両(2両の指揮戦車含む)が装備という貧弱な部隊でした。11月にはスターリングラード攻防戦に投入されましたが、損害が大きく、1943年2月に解隊しました。
 また、第Ⅰ、第Ⅱ大隊のうち、2個中隊51両の38(t)戦車は、10月に創設された第700戦車部隊(Panzer-Verband 700)に移管され、残余部隊は11月にルーマニア軍の増援部隊としてスターリングラードに派遣されましたが、戦力は次第に消耗し、第22装甲師団は1943年4月に解隊となりました。


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